「病んでたから」

私が自殺なんてしたら、あのこは病んでたからねぇ、なんて言われる。

不幸があったから…とも。

親が死んだ20代なんて山ほど居るのに、あのこは弱いから耐えられなかったのかねえ、とか。

母の死があったから自殺するというより自分自身にほとほと嫌気がさしてたベースがあって、そこに母の死と二匹のペットの死が重なってトドメに夫の暴言と薄情な態度があったうえでの自殺になる。

なんとか乗り越えられそう!と希望の光が見えた瞬間、ルチオ・フルチよろしく目潰し喰らって失明させられた。

なんて長々書いたところで自殺した奴の言い訳。自分の弱さを少しでもマシに見せたいだけの取り繕い。見栄。そう思われるのがオチ。

他人は、それはそれは好き勝手言いまくる。
推測や憶測でも。そうじゃないんだよと一人一人まわって弁明する訳にはいかない。みんな勝手にそれぞれの解釈をする。でも仕方ない。それが怖くて自殺が出来るか。

フラッシュバックにも疲れた。
醜い顔で生きるのもしんどい。優れた点が一つもない。人並みに出来ることも一つもない。朝早く起きられない。はっきり喋れない。声を出したくない。聞かれたくない。顔を見られたくない。名前を呼ばれたくない。

心残りしかない。後悔や無念しかない。怒りや悲しみ、罪悪感、孤独感しかない。ネガティヴな感情しかない。

みんな離れていく。誰かの一番にはなれなかった。夫の一番にすらなれなかった。よそ見ばかりされた。よほど価値がない奴。よほど面白くない奴。


死んだらどこに行くんだろう。
分からないから怖い。無になるのは嫌だ。母と一緒に未来永劫暮らしたい。あの笑顔をもう一度間近で見たい。あの声を聞きたい。
居ない意味が分からない。

死に急ぐ

生きねば。
死ななくては。

行ったり来たりだったり、同時に居座っていたり。生への希望と戯れている時、ふと後ろを向くと死の誘いがある。
あっちこっち行きたい。行き来したい。気分で生きたり死んだりしたい。
ジレンマ。右手に生、左手に死、ぶつけてもこねても混ざり合わない、同化しない。どちらかしかない。選ぶしかない。

私が死んだら、誰に影響が出るのか。
泣く人は少ない。家族は悲しむのか。そりゃ家族だから悲しむ。マトモな人しかいないから。全く恵まれた家庭環境。
贅沢。心の通風。
誰も悲しまないわ、なんて悲劇のヒロイン劇に陶酔する歳でもない。

占い師に言われた、25で死ぬだか25まで生きられないだか。26を無事迎えて、ざまあみやがれとほくそ笑んでいたのが最早懐かしい。
予定より一年長く生きられたから、万々歳なのか。寿命に逆らったから死神が怒ったのか。25歳の一年間、普通に、生きたかったから生きた。だって楽しかったし希望も未来もあったから。ざまあみやがれ、あたしゃ30まで生きるよ、それ以降もね、と。

ブスでグズでダサいバカなくせに他人に逆らったから罰が下った。がらがらと足場が崩れていたるところぶつけながら滑落して行った。

占いではよく、「大器晩成型」と言われ続けてきた。30代まで苦労続きだけどそれ以降は幸せになれると。
大器が晩成する前に力尽きてしまったらなにも意味がない。次の人生では若い時期に幸せに過ごしたいもんです。

遅れてきた青春なんてみっともないし体力落ちてるからフルで楽しめないから損。他人からしたら幼稚な考えなんだろう。言わせとけ、そいつらは健常者だ。